万全を期せたことがない
何をこのノートに書くのか。 ネタのタネをスマホのメモアプリに貯めておけば、今朝のように何を書いて良いか分からなくなることもないのかもしれない。
即興性が良いものを生む、とは少なくとも私にとっては幻想である。準備したものが良いものになる。準備こそすべてである。その準備の悪さが今の私の立場を形成してきたのだが。
万全を期せたことがない。準備不足が靴を履いて街を歩いている。それが私である。その靴には穴があいており修理するなり新調するなり、その類いの準備がない。何もする必要が無いと判断した上での用意の無さではない。思考が停止している。その結果として試行錯誤がないのだ。
あまり自分を責めるのは良くない、という言説がある。 しかし、あまりに悲観のない楽観はいかがなものか。楽観も良い塩梅の悲観がブレンドされてこそ、その旨みが引き出されるはず。その旨みを引き出すため、己の準備不足を悲観してみる。 簡単に改善されはしないだろう。 問題の根は深い。あらためてここに記す。
万全を期せたことがない。